鬼と言えば、大江山の酒呑童子の伝説が有名です。

じ・つ・は!

京丹後にも鬼伝説があります。

今日はNPO法人『全国まちづくりサポートセンター』の丹後支所長の中江忠宏さんの講演を聴いてきました。
演題は『麻呂子親王鬼退治伝説の謎を探る』というものでした。

麻呂子親王は用明天皇の皇子で厩戸皇子(聖徳太子)の異母弟です。
丹後の地で鬼退治をしたと言われています。
そしてその鬼を立岩に封じ込めたというのが『定説』なのですが・・・

講演の中では、中江氏が様々な史料を読み解いていくと、新たな発見をしたとの事でした。

用明天皇の命を受けた麻呂子親王は、塩干、松干の二人の皇子を引き連れて丹後の地へやって来ました。

あっという間に鬼を平らげる親王。カッコいいです!鬼は次々とやっつけられて最後の一人が追い詰められます。
そして命乞いをします。

慈悲深い麻呂子親王は「よしわかった。命だけは助けよう。その代わりに7体の仏像を安置するためのお寺を建てるので、その土地を一晩の間に用意しなさい。」と言います。この通り言ったかは分かりませんが・・・

そして鬼は、崖を崩し、草木を切り、穴を埋め、地面をならし土地を作ります。

命を奪われるのと永遠に閉じ込められるのと、どっちマシなのでしょうか。あ、個人的な疑問です。約束を果たした鬼に麻呂子親王は「よし分かった。命は助けよう。代わりに、斎の宮(現在の竹野神社)の裏にある岩窟に永遠に閉じ込める。」と言い、その通りにしました。

その謂われがあって、竹野神社の鬼祭りが行われるようになったのではないかと言われています。

・・・と聞くように、鬼を封じ込めたのは立岩でなかった?
確かに新しい発見。

もちろん誰一人として実際に見てきたわけでもないので、どの説が本当かは分かりません。
それが伝説の醍醐味だと思います。

色んな史料を読み、伝説の世界に思いを巡らせてみるのも面白いですね。

もしかして絶世の美女?あくまでイメージです、あしからず。おまけの話ですが、麻呂子親王が鬼退治に来ていたとき、間人皇后(穴穂部間人媛)は現在の間人にいたそうです。
その時に二人は逢瀬を重ねたという話もあるそうです。

え、ちょっと待って!
麻呂子親王と間人皇后は血はつながっていなくても、義理の親子じゃあ・・・

更に言うと、間人皇后はまた別の義理の息子とも逢瀬を交わしたとか・・・
超モテージョです。よっぽどの美人だったんでしょうねぇ。

と驚いていると、古代史ではこんな事はざらにあるお話だそうです。下手なドラマより、よっぽどスリリングです。
恐るべし古代史。

written by YUKI

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