京都府北部【海の京都】京丹後市の観光情報「京丹後ナビ」は、久美浜町・網野町・峰山町・大宮町・弥栄町・丹後町の6町からなる京丹後市観光協会のサイトです。

乙姫

網野町浅茂川

乙姫(嶋児神社)

嶋児神社

網野町は、「丹後国風土記」に伝えられる浦島太郎伝説の地です。浦島太郎は後世につけられた名前で、風土記では水江浦嶋子(みずのえのうらしまこ)となっており、この嶋子をまつる神社が網野町浅茂川の海岸に鎮座する嶋児神社です。また、嶋児神社から左遠方に見える福島は、浦島太郎と乙姫がはじめて出会った場所といわれ、ここには乙姫をまつる福島神社があります。
嶋子が釣った魚を放していたとされる潮溜まり「釣溜」や、嶋子が投げつけた顔のしわが樹皮にはりついたとされる「しわ榎」もこの近くにあります。

京丹後市網野町浅茂川
丹鉄網野駅⇒丹海バス乗車12分・「日吉橋」下車・すぐ




乙姫(網野町浅茂川)

山陰海岸国立公園にある網野町八丁浜の西端、浅茂川港に隣接する小さな丘(川裾山)に、浦島子を祀る島児神社がある。網野町には他にも網野神社、六神社に浦島子が祀られ、西浦福島神社には乙姫が祀られているなど浦島太郎に関する伝承が色濃く残されている。

昔、水の江の長者日下部曾却善次夫妻には子供がなく、子宝に恵まれたいと毎日祈っていた。ある夜、夫婦は同じ夢を見た。神が現れ「二人の願いを聞き届けよう。明日、福島に来るように」とお告げがあった。翌朝福島に行くと布団に巻かれた赤子が置かれていた。夫婦は嶋子と名づけ大切に育てた。嶋子は釣りが好きで毎日釣りに出かけた。釣った魚は釣溜(つんだめ)にビクのままつけておいたという。そんなある日、嶋子が福島の白鷲が鼻で釣りをしていると乙姫に出会い、一目で好きになり、二人は夫婦の約束をした。乙姫の勧めで龍宮城へ行き、毎日手厚いもてなしを受け、楽しい日々を送り、瞬く間に三年の月日が流れた。嶋子は両親の住む故郷のことを思い出し、打ち沈む日が多くなったのを見た乙姫は、嶋子のことを思い、故郷に帰ることを認めた。「ここへ帰りたいと思うときはいつでも来てください。この玉手箱は決して開けてはなりません。」と玉手箱を差し出し見送った。嶋子は万畳浜に着くと懐かしい我が家への道を急いだ。しかし、道で出会う人はみな知らない人ばかり。家はなく屋敷は雑草が茂り、荒野原になっていた。嶋子は嘆き、途方に暮れ、乙姫からもらった玉手箱を開けてしまった。すると中から白煙が立ち上がり、嶋子の髪は真っ白に、顏はしわだらけ、すっかり老人になってしまった。驚いた嶋子は、思わず顔のしわを引き千切って傍らの榎に投げつけた。榎は幹がシワシワになり「しわ榎」と呼ばれるようになった。現在も史蹟銚子山古墳の傍らで長い歴史を見続けている。

【参考図書】『もっと知りたい伝えたい丹後の魅力』
 発行者:NPO法人まちづくりサポートセンター 〒627-0221 京都府京丹後市丹後町竹野 Tel. 0772-75-1411


浦嶋伝説

京丹後の伝説・民話 浦嶋伝説昔、銚子山古墳の地続きに日下部氏の屋敷がありました。 日下部曽却善次夫婦には子どもがなく、子宝に恵まれたいと百日祈願をしていました。 満願の夜、夫婦は不思議に同じ夢を見ました。 神から「ふたりの願いを聞き届けよう。明朝、福島へ来い」とのお告げです。 翌朝、出かけると赤子が置かれており、夫婦は「嶋子」と名付け大切に育てました。
釣り好きの若者に成長した嶋子は、澄の江での漁の時は釣った魚を一旦磯の「釣溜(つんだめ)」にビクのまま浸けておいたといいます。 ある日、嶋子は福島で大変美しい娘に出会いました。 乙姫様でした。 ふたりは夫婦の約束をし、小舟で竜宮城へ行きました。 手厚いもてなしを受け3年の月日が経ちました。 嶋子は故郷が恋しくなり、帰ることになりました。 乙姫様が「お別れに手箱を差し上げます。 再びお出でくださるお気持ちがあるなら、決して中をお開けなさいますな」と美しい玉くしげ(玉手箱)を渡しました。 嶋子は懐かしい万畳浜へ帰って来ました。 ところが屋敷に着いてみると雑草が茂って一面の荒野原に…。 竜宮城での1年は、人間界の何十年にもなっていたのです。 嶋子は悲しみ、途方にくれました。
銚子山古墳の前方部付近にある「しわ榎」 その時、玉くしげのことを思い出し、これで数百年の昔に戻れるのではと箱の蓋を開けました。 すると中から白い煙りが立ち上り、嶋子はしわだらけのお爺さんに。 驚いた嶋子は思わず自分の頬のしわをちぎって榎に投げつけました。
その後、嶋子がどうなったかはわかりません。 ただ、しわを投げつけたという一本榎は「しわ榎」といわれ、今も日本海を渡って来る浜風に枝葉をゆるがせて立っています。


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