京都府北部【海の京都】京丹後市の観光情報「京丹後ナビ」は、久美浜町・網野町・峰山町・大宮町・弥栄町・丹後町の6町からなる京丹後市観光協会のサイトです。

川上摩須郎女

久美浜町須田

川上摩須郎女(湯船坂二号墳、熊野神社)

熊野神社

川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)は、往古、丹波の国王として君臨していた丹波道主命の妻です。丹波国の豪族・川上摩須の娘として生まれ道主命の妻となり、一男三女をもうけ、その息女日葉酢比売(ひばすひめ)は垂仁天皇の后となり、景行天皇をはじめ倭比売(やまとひめ)などをもうけたといわれています。 この一大勢力の遺跡が久美浜町須田伯耆谷(ほうきだに)に無数に存在しています。丹波道主命と川上摩須郎女の孫娘が皇后になったことを喜び、兜山の山頂に建立したと伝えられるのが熊野神社です。

京丹後市久美浜町須田
丹鉄久美浜駅⇒車で約20分




川上摩須郎女(久美浜町須田)

「丹後旧事記」によれば、「開化・崇神・垂仁の三朝、熊野郡川上庄須郎の里に館を造る。丹波道主命は摩須郎女を娶る」と記している。川上(河上)庄は久美浜町川上のこととされ、郎女は今の須田であろう。川上摩須という豪族が、須田の地に居たということは、この地が古代の中心地であったことからうなずけるし、屋敷跡と言われる場所もある。須田の伯耆谷に沿って弥生式後期の遺跡があり、一帯に無数の古墳が存在する。有名な「双龍環頭太刀」が出土した湯船坂二号墳もある。

四道将軍丹波道主命は、10代崇神天皇十年(前88)に丹波平定を命ぜられ、大和から山城、丹波を経て今の丹後・但馬付近を平定し、統治したようである。道主命は比治の真名為と本個の村(五箇)との間にある府の岡(船岡)に居を定め、この付近を統治したと言われている。丹波道主命と川上摩須郎女の間には「日本書記」によれば五人の娘がいた。順に日葉酢媛(ひばすひめ)・渟葉田瓊入媛(たかのひめ)・真砥野媛(まとのひめ)・薊瓊入媛(あざみにいりびめ)・竹野媛(たかのひめ)である。このうち長女にあたる日葉酢媛が11代垂仁天皇の皇后となって三男二女を生んだ。次男大足彦(おおたらしひこ)が12代景行天皇になる。また、四女薊瓊入媛と垂仁天皇の間に生まれた五十日足彦命(いかがたるひこのみこと)が13代成務天皇となっている。この景行天皇の息子が伝説上の英雄日本武尊(やまとたけるのみこと)である。日本武尊は、「記紀」をはじめとして各地の「風土記」にも登場するほど著名であった。なお、丹波道主命と川上摩須郎女の間に生まれた朝廷別命(みかどわけのみこと)は、父道主命とともに比治の真名井原にいて、丹後・但馬に勢力を張った日下部氏の祖をなったと言われている。

【参考図書】『もっと知りたい伝えたい丹後の魅力』
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