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羽衣天女

峰山町鱒留

羽衣天女(乙女神社)

乙女神社

昔、比治(ひじ)の山の真奈井で天女が水浴びをしていると、老夫婦に羽衣を隠され天に帰ることができなくなりました。天女は酒をつくり老夫婦と暮らしましたが、その後、家を追い出され、ほかの村に移り住みました。その胸中を伝える歌が「丹後国風土記」の逸文に残されています。
このほか、地元に伝承され、語り継がれてきたもう一つの羽衣伝説があります。それは、天女と夫婦になった猟師の家系を継ぐ家があるというもので、天女の娘の一人がまつられているとされる乙女神社では、お参りをすると美女を授かるといわれています。また、天女が水浴びをしていたとされる女池は、磯砂山の中腹に位置し、かきまぜると雨をもたらすと言われています。

京丹後市峰山町鱒留
丹鉄峰山駅⇒丹海バス乗車20分・「大路口」下車・徒歩20分




羽衣天女(峰山町五箇)

羽衣天女伝説は、静岡県の三保の松原をはじめ全国に散らばっている。丹後の峰山町にも2つの「羽衣伝説」が伝えられており、そのうちの1つは、峰山町五箇の比治山の麓、大路地区に伝承されて来たもので、安達家では、今でも羽衣伝説に関わる七夕祭の催しが続けられているという。七夕は、田畑・棚機の意味で農業と機業に関係があるとも言われている。

昔、比治の里に「さんねも(三右衛門)」という若者が住んでいた。ある日の朝、さんねもはいつものように狩りに出かけ、比治山の頂上近くまで来ると、8人の天女が水浴びをしているのに遭遇した。さんねもは近くの木の枝にかかっていた一枚の羽衣を抱え、急いで家に帰り大黒柱に隠した。羽衣を取り返しに天女が訪ねて来るが、さんねもは拒否し、天に帰ることが出来なくなった天女は、結局さんねもの嫁になり三人の娘を生んだ。天女は養蛋や機織、米づくり、酒づくりと様々な能力を見せたという。この天女を豊受大神と同一神と見る説もある。しばらくしたある日、この羽衣が天女に見つかってしまい、喜んだ天女は娘たちに訳を話し、羽衣をまとって天に帰ってしまった。さんねもは嘆き悲しみ、天女が残した種(ゆうごう=夕顔)を蒔くと、その蔓がするすると天に向かって伸びて行った。さんねもは蔓をよじ登り天女と再会した。天女は「天の川に橋を架けて下さい。そうすると、また一緒に暮らすことができます。」とさんねもに頼んだ。7月7日の完成までは、天女のことを思い出してはならないと言われていたが、完成間近に、あーこれで天女と一緒に暮らせると思いだしてしまい、さんねもは橋もろとも天の川に押し流されてしまったという話である。その後、比治の里の人々は天女の娘をお祀りするため小さな社を建てた。この社は乙女神社と名付けられ、お参りすると美しい女の子が授かると言われている。

【参考図書】『もっと知りたい伝えたい丹後の魅力』
 発行者:NPO法人まちづくりサポートセンター 〒627-0221 京都府京丹後市丹後町竹野 Tel. 0772-75-1411


丹後 羽衣天女伝説

京丹後の伝説・民話 丹後 羽衣天女伝説昔、比治の山の山頂に真奈井【まない】という美しい池があり、8人の天女が水浴びをしていました。そこへ通りかかった老夫婦が1人の天女の衣を隠してしまい、天に帰れなくなった天女に向かってこう言いました。「わたしには子どもがいません。どうかわたしの子になってください」。これを聞いた天女は一緒に暮らすことにしました。

それから10年余り、天女は一杯飲むと万病が治るという酒をつくり、家のみならず村までも大変豊かになりました。すると、ある日、心変わりした老夫婦が言いました。「おまえはわたしの子ではない。出て行って欲しい」。そこで天女は非常に嘆き悲しみ、はるか空を仰いで、「天の原 ふりさけ見れば 霞立ち 家路まどいて 行方しらずも」と読み、なんとか奈具の村へとたどり着き、心穏やかに暮らしたということです。

この日本最古の羽衣天女伝説は、和銅6年~霊亀元年(713~715年)の『丹後国風土記』に記されたもので、この天女が奈具の村におまつりしている豊宇賀能売命【とようがのめのみこと】(豊受大神)とされています。
このほか、羽衣天女伝説には、7月7日の夜、年に一度だけ再会できる七夕伝説も語り継がれています。



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