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赤坂今井墳墓

峰山町赤坂

赤坂今井墳墓(あかさかいまいふんぼ)

赤坂今井墳墓

赤坂今井墳墓は、丹後半島最大の平野部である中郡盆地から日本海へ抜ける、狭隘な谷筋に面した標高55mの丘陵先端部に立地し、日本海までは5km程度のところで、交通の要衝に位置しています。出土土器は弥栄時代後期のもので、いずれも搬入品が多く、当時の丹後地域の交易範囲を知る手がかりとされています。中心被葬者は内外の交易、先進物資の広域流通に深く関与し、その政治的影響力を大いに発揮した丹後地域の盟主的首長であった可能性が非常に高いとされています。

京丹後市峰山町赤坂
丹鉄峰山駅⇒丹海バス乗車10分・「石丸」下車・徒歩5分


赤坂今井墳墓

平成10年・11年、府道建設に伴い事前の発掘調査を実施したところ、弥生時代の大規模な墳墓が遺存していることを確認したため、路線を変更して現地保存が図られました。これを受けて峰山町(現京丹後市)教育委員会では、平成12年度より、遺跡の規模等を把握するための発掘調査を実施しました。

その結果、墳丘は墳頂部で東西36m、南北39m、その裾には平坦面を造成し、墓域としては南北51m、東西45m、高さ3.5mという弥生時代終末期前後としては傑出した規模であることが判明しました。また、墳丘西側の平坦面では埋葬施設を確認し、さらにその西側の丘陵斜面部分は大きく削平され、その際に出た土砂は、墳丘や周辺の平坦面の造成に費やされたと考えられています。

埋葬施設は墳頂部に6基、墳裾の平坦面に19基以上存在します。墳頂部の中心主体である第一主体は長辺14m、短辺10.5mと他に例をみない大規模な墓坑をもちます。その上面西側で検出された南北に並ぶ柱穴列は、埋葬儀礼に伴う施設と考えられます。墓坑上面からは円礫と破砕された土器が出土しました。これらは埋葬後に捲かれたものとみなされ、土器は庄内式の古段階に併行する時期の特徴を有しています。木棺は底面が窪む舟底状です。

第一主体を切り込んで作られた第四主体の墓坑は長辺7m、短辺4.2mで、その上層では、第一主体部と同様に円礫と破砕された土器が出土しました。土器は第一主体部と同じ時期のものです。棺内から鉄剣1点、ヤリガンナ1点及び頭飾り・耳飾り一式を検出しました。頭飾りは着装された状態で、ガラスと碧玉製で三連に連なっており、布などに編み込んでいたと考えられています。ガラス管玉には、古代中国の顔料で「漢青」の主成分として使用されたケイ酸銅バリウムが含まれていました。

このほか、墳丘裾部には大小の木棺墓・土坑墓・土器棺墓を確認しています。

赤坂今井墳墓は弥生時代終末期前後、すなわち3世紀前半頃に築造された巨大な墳墓です。その築造には大規模な土木工事が行われ、埋葬施設における副葬品のあり方も明らかとなりました。弥生時代後期後半以降、列島の各地域では巨大な首長墓が築造されるようになるが、この墳墓は近畿北部の首長とそれに関係する人々の墓と考えられます。また、副葬品からは大陸との交流があったこと、墓坑上でみつかった遺構・遺物は当時の葬送儀礼のあり方を知ることができるなど、この地域における弥生時代終末期前後の政治状況や社会のあり方を知る上で極めて重要です。


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