日本海側で最大規模
網野銚子山古墳の調査書完成
被葬者は誰か?
日本海側で最大の墳丘規模を誇る京丹後市網野町の前方後円墳「網野銚子山古墳」について、同市教育委員会は地中レーダー探査の結果や築造時の復元図を盛り込んだ調査報告書をまとめた。探査では埋葬施設とみられる石材が捉えられ、復元図を通し、奈良市の皇后陵との類似性が高まった。被葬者の謎に迫る研究成果を基に、京丹後市教育委員会は墳丘の復元を行い、築造時の姿に近づけた。
国史跡に指定されている網野銚子山古墳は、古墳時代(4世紀後半)に造営され、現在はない福田川河口の潟湖(せきこ)周辺に立地していた。市教委は墳丘の復元のため、2017~20年度に発掘調査を行った。
報告書では地中レーダー探査の結果を紹介した。後円部の中央付近の地中に長さ5・5メートル、幅2・5メートルの石材とみられる反応を確認した。舟形石棺や竪穴式石室といった埋葬施設の可能性が高いとみられる。
発掘調査で198メートルとされていた墳丘長が、日本海側では唯一、200メートルを超える201メートルと新たに推定された。航空レーザー測量を行って樹木に覆われていない状態の地形を可視化した赤色立体地図で墳丘の現状を把握し、発掘結果を加味した復元図を作成した。これらを基に、垂仁天皇の皇后・日葉酢媛(ひばすひめ)が埋葬されたとされる佐紀陵山古墳(奈良市)と比較したところ、墳丘長や構造が一致した。
これについて、岸本直文・大阪公立大教授は「網野銚子山古墳は、佐紀陵山古墳の基本設計を基に、変更点を少なく抑えつつ実施設計された」とみる。
被葬者は誰か。三浦到・元京丹後市立資料館長は、墳墓の類似性から日葉酢媛の弟・朝廷別(みかどわけ)王の蓋然(がいぜん)性が高いと推測。「古事記」や「日本書紀」を読み解き、「丹後王国論」を提唱した元府立大学長の門脇禎二氏の研究成果を参照し、朝廷別王は「ヤマト政権とのつながりの深い地域国家の王」と説明する。
京丹後市教委は、復元図をもとに古墳の前方部に盛り土で成形して葺石(ふきいし)も施した。樹木を伐採して形状が見えるようにした。本年度は周辺に駐車場をつくる計画で、来春の完成を目指す。
市教委文化財保存活用課の岡林峰夫課長補佐は「集大成の報告書ができた。整備工事が完了したら古代ロマンを感じに多くの人に訪れてほしい」と話している。報告書は216ページ、市内の図書館や市のホームページで閲覧できる。
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