極上のふるさと京丹後
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おののこまちはしうどこうごう日本最古の羽衣天女羽衣天女はごろもてんにょ日本最古の乙 姫乙 姫おとひめ丹波の国王の妻川上摩須郎女川上摩須郎女かわかみのますのいらつめ戦国の世を生きた細川ガラシャ細川ガラシャほそかわがらしゃ絶世の美女小野小町小野小町聖徳太子の母間人皇后間人皇后源義経の愛妾しずかごぜん静御前静御前京丹後七姫伝説歴史歴史歴史歴史 ひ静磯に生まれた静御前は都でも指折りの白拍子として有名になり、舞う姿を源義経に見初められて側室に。平家滅亡後、兄に追われる義経と生き別れになった静は、出家して故郷に庵を結び、夫の無事と子の冥福を祈りました。現在、磯に静御前を祀る神社と日本海の展望台があり、春には水仙や桜に彩られます。[所]網野町磯[問]京丹後市観光公社網野町支部0772-72-0900 小平安時代を代表する歌人・小野小町は深草少将の熱烈な求愛から逃げ、この五十河にたどりついたと伝わっています。小町公園には寝殿造りを思わせる「小町の舎」や庭園があり、小町の開基とされる「妙性寺」や小町の墓という塚も周辺に現存しています。[時]午前10時〜午後4時 [休]水曜日 [所]大宮町五十河 [問]0772-64-5533間厩戸王(うまやどのおう)の御母である穴穂部間人(あなほべのはしうど)皇后は蘇我氏と物部氏の争乱を避け、この地に身を寄せたと伝わります。大和の国へ帰られるにあたり皇后から御名を賜りましたが、口にするのは畏れ多いと考えた村人たちは御退座にちなみ「たいざ」と読むことにしました。この伝説をもとにした母子像が日本海を眺めるように後ヶ浜にたたずんでいます。[所]丹後町間人[問]京丹後市観光公社丹後町支部0772-75-0437 磯磯砂山(661m)は日本最古の羽衣伝説の発祥地とされています。天女が水浴びをしたという「女池」が中腹にあり、モニュメントのある頂上からは大江山や天橋立まで見渡せます。ふもとにある乙女神社にお参りすると美しい娘を授かると言われています。[所]峰山町鱒留 [問]京丹後市観光公社峰山町支部0772-62-8560嶋浅茂川の海岸には随所に浦島伝説ゆかりの地があります。「丹後国風土記」では水江浦嶋子(みずのえうらしまこ)となっており、海岸に鎮座する嶋児神社に祀られています。[所]網野町浅茂川[問]京丹後市観光公社網野町支部0772-72-0900 細細川忠興に嫁いだ明智光秀の娘・玉子は本能寺の変により逆臣の娘となり、居城のあった宮津から遠く離れた山深い地に幽閉されました。それが、この碑が建てられている味土野(みどの)です。この時に従った侍女・清原マリアの影響でキリスト教に救いを求めるようになり、後に洗礼を受け「ガラシャ(神の恩籠)」の名を授かりました。[所]弥栄町味土野[問]京丹後市観光公社0772-72-6070 宮津市・舞鶴市安寿姫/奈具海岸・汐汲浜ほか由良川河口の両岸に民話「安寿と厨子王」ゆかりの地があります。ひと足のばして14しまこじんじゃ児神社宮津市しずかじんじゃしずかのもりはしうどこうごうぼしぞうほそかわの杜神社・静人皇后母子像いさなごさんめいけ砂山・女川ガラシャの碑池・乙女神社おとめじんじゃこまちこうえん町公園宮津市元伊勢籠神社伊勢神宮のふるさとであり、天橋立創造の神話を伝える丹後一宮です。[所]宮津市字大垣430 [問]0772-27-0006成相寺704年創建と伝わる真言宗の古刹です。西国三十三所第28番札所。[所]宮津市字成相寺339 [問]0772-27-0018舞鶴市松尾寺毎年5月の仏舞で有名なお寺です。西国霊場第29番札所。[所]舞鶴市松尾 [問]0773-62-2900 四道将軍の一人、丹波の国王として君臨した丹波道主命の妻。その息女、日葉酢比売(ひばすひめ)は垂仁天皇の后となり景行天皇をはじめ倭比売(やまとひめ)などをもうけたといわれています。伯耆谷(ほうきだに)には、この一大勢力の遺跡が無数に存在しています。[所]久美浜町[問]久美浜町観光総合案内所0772-82-1781赤れんが倉庫群旧海軍などの赤れんが建造物が多く残る舞鶴はエキゾチックな雰囲気。[問]舞鶴観光協会0773-75-8600舞鶴市

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