歴史の香り
海風に乗って
京都丹後鉄道 網野駅界わい
日本海に面した京丹後市網野町。夏は海水浴、冬はカニ料理が観光客らを引きつける。とかく海のイメージが強いけれど、まちをぶらぶらすると、地元の偉人の足跡や、いまに息づく職人の伝統技、古代ロマンに触れられる。
ノムさんの偉業たたえる
玄関口の京都丹後鉄道網野駅に降り立った。駅舎は帆いっぱいに風を受けて進むヨットをイメージしているという。構内の京丹後市観光公社網野町支部で電動アシスト付き自転車を借りて、出発した。
駅前から浅茂川漁港のある海側へ向かう。田園風景の広がる一本道に黄色く色づいたイチョウ並木が続く。道なりに2キロほど走り、丹後地域地場産業振興センター・アミティ丹後の「野村克也ベースボールギャラリー」=写真①=に寄った。
野村さんはここ網野町で生まれた。1954年に地元の峰山高からテスト生で南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)に入団。強打の名捕手で戦後初の三冠王に輝き、監督や野球評論家としても活躍した。
ギャラリーは、市が2018年3月、野村さんの母校・旧網野小跡地に建つアミティ丹後内に整備した。幼少期や選手、監督時代、ライバルの長嶋茂雄さん、王貞治さんとの写真パネル、数々のトロフィーなど「ノムさん」の偉業が飾られている。
当時、市職員として開設に関わった市観光公社専務理事の木村嘉充さん(66)は「ぼやいて文句を言う感じの人が、オープンの記念式典のときはすごくうれしそうで、『ありがとう』と言ってもらえたのを覚えています」と話す。
伝統の仕事が息づく
ギャラリーを後にして、海側へ自転車のハンドルを切り、町並みを探索。「海辺のちょうちん屋さん」の提灯がかかる家屋を見つけた。興味をそそられて扉を開けると、高い天井の工房に大小さまざまの提灯がぶら下がっていた。
「小嶋庵」=写真②。小嶋俊さん(40)が2021年10月に開いた。21、22歳のころに見た、八丁浜の美しい海が「めっちゃ好き」とほれ込んで移住した。実家は、京都市東山区の京提灯製造販売の老舗「小嶋商店」だ。寛政年間(1789~1801年)の創業で、京都の「南座」の正面玄関にある高さ2メートルの大きな提灯を手がける。「毎年、顔見世興行の前に歌舞伎役者の名前が書かれたまねき看板を上げるときに交換するんです」と話す。
普段は、地域の祭りや飲食店などで使われる提灯を製造する。妻の宏美さん(43)やパートの女性たちと和やかな雰囲気で作業が進む。お薦めは、京提灯を身近に感じられるワークショップ。約10センチと手のひらサイズの提灯「ちび丸」を作る体験(4400円、要予約)が楽しめる。「観光客や地元の人がたまり場のように集まって来て、伝統工芸に親しんでほしい」
市役所網野庁舎まで引き返し、ショーウインドーに笑顔のお地蔵さんが座る「喫茶アゲイン」へ。1983年の開業で、昭和時代の雰囲気が残る。鶏ガラと牛すじのスープで仕込んだ自家製カレー(サラダ付き、800円)=写真③=で腹を満たした。
店内には、網野町出身の絵本作家、梅田俊作さんがふるさとを舞台に描いた「あそび町うらしま通りさんかく地」などの著作や絵画が並ぶ。店主の梅田桂子さん(55)は「おじなんです」と教えてくれた。
京丹後署網野交番近くの交差点を北東に曲がり、日本海側最大の前方後円墳「網野銚子山古墳」=地図④=に着いた。国指定史跡で、市が8年がかりで今春に整備を完了した。全長201メートル、高さ17メートル。築造は4世紀後半と推定される。後円部の墳頂から望む、網野のまちと青い日本海の眺めに歴史ロマンを感じた。
網野駅で自転車を返すと、駅のホームに特急「たんごリレー」が止まっていた。JR東海で引退したキハ85系(現KTR8500形)だ。間もなくオレンジ色とクリーム色を基調にした国鉄時代の急行列車をイメージしたラッピング車両も入ってきた=写真④。懐かしさで思わずカメラのシャッターを切った。駅は、にわかの「撮り鉄」になれる楽しさを秘めていた。
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