2024.02.05|

能登半島地震から1カ月
「半島の防災」にどう向き合うか
京丹後、経ケ岬で思う

経ケ岬から望む白山。銀嶺が美しい

銀嶺の神々しさだろう。

今も信仰を集め、北陸の人にとって郷土の象徴という。石川と福井、岐阜の3県にまたがる白山である。

丹後半島の最北端・経ケ岬(京丹後市丹後町)から、その霊峰を望む。視界に入らないが思いは能登半島に。〈冬の海 沖に光を 集めたり〉沢木欣一。

かつて半島同士は海でつながっていた。江戸から明治初期には北前船(きたまえぶね)が日本海を行き交い、北海道と大阪を結ぶ。京丹後に隣接する、伊根の船宿に残る当時の客船帳を見ると、特に北陸の船の定宿だったよう。船乗りたちが各地で見聞きしたことを語り合い、物や情報、文化を丹後に届けた。

能登半島地震から1カ月が過ぎた。大雪にも阻まれ、倒壊した家屋の大半は手付かずのまま。被災者の生活再建も遠い。時の経過がむなしい。

発生直後、三方を海に囲まれ、交通手段が限られる半島の特徴が対応を難しくした。孤立する集落も相次ぐ。津波はわずか1分で沿岸に押し寄せ、西側の町では高さ5㍍を超えたとか。「半島の防災」にどう向き合うか―。

行政の対策とともに、私たちも「わがこと」意識が欠かせない。自分の住む地域で想定される被害は? 過去に何が起こったか。災害は人にどんな悲しみや困難を与えるのか。これら三つを想像することが大切、と防災心理学の研究者は言う。被災地をもっと身近に。その心持ちが支援や備えを後押しする。

 

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「丹後松島」と呼ばれる美観を形成する丹後半島の海岸線(京丹後市丹後町)
能登半島地震を伝える京都新聞