2023.09.27|

KYOTO TANGO QUEENS
躍進の時 京丹後発女子サッカーチーム

京丹後市の女子サッカーチーム「KYOTO TANGO QUEENS」(通称・クイーンズ)が飛躍を遂げている。参入2年目の関西リーグ2部では上位を維持し、試合以外でもサッカー教室や仕事と、選手たちは地域の一員として活躍している。「勝っても負けても応援されるチーム」をコンセプトに掲げるクイーンズが、この2年間でまちにもたらしたものとは。軌跡を追った。

地元の初試合 駆けつけた250人

地元での公式戦を勝利で飾り、駆けつけたサポーターと記念撮影するKYOTO TANGO QUEENSの選手たち

7月30日昼、同市峰山町のはごろも陸上競技場でクイーンズは初となる地元での公式戦に臨もうとしていた。最高気温37度の猛暑の中、サポーターが約250人詰めかけていた。普段、遠征先での試合では20人ほどの応援だが、この日は小学生の女子サッカークラブやスポンサー企業の関係者、親子連れと、さまざまな人が席を埋めていた。

地元で活動するDJも駆けつけ、サポーター全員で選手への応援コールも練習し、一体感が生まれていた。

試合前に、チームを運営する「ゆかサル」社長の吉野有香さん(32)はかみしめるように1人1人を数え、心を振るわせていた。「こんなにも応援に来てくれるなんて」-。

クイーンズは2021年4月に京丹後市で発足した女子サッカーチームだ。山口県や岩手県、大阪市から移住した社会人選手をはじめ京丹後市や福知山市、舞鶴市、兵庫県豊岡市の中高生25人前後で構成されている。チーム名の由来は「羽衣天女」や「細川ガラシャ」といった「丹後七姫」にちなむ。

チームを運営するのは吉野さんと、京丹後市弥栄町出身で、大阪市でIT系の営業代行会社を経営する平林正教さん(41)。クイーンズは2人のある思いが共鳴し、誕生した。

「将来を心配せずに努力できる環境を」

社長になった元なでしこリーガーの夢

クイーンズを運営する「ゆかサル」社長の吉野さん

吉野さんは愛知県犬山市出身。サッカーとの出会いは小学1年で、父親と兄に誘われて競技を始めた。ディフェンダーとして県選抜チームにも抜てきされるほどの実力で、高校は仙台の強豪・常盤木学園高に特待生で入学した。だが、熊谷紗希さんをはじめとした日本代表選手を多数輩出した名門校にあって、吉野さんは出場機会には恵まれなかった。

「私は途中でマネジャー兼務になって。くっそーと思いました」と苦笑い。だが、練習の準備や試合のビデオ撮影、視察に訪れる関係者への応対など、裏方仕事が今の社長業につながっている。

現役時代、吉野さんはけがに泣かされた。高校3年時に左膝の前十字靭帯(じんたい)を断裂した。進学後、大阪で日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)の選手となったが、再び靭帯をけがし、数年で解雇に。その後、京都のチームに入団したが3度目の断裂。24歳で引退を決意した。

一時ふさぎ込んだが「私にはサッカーしかない」と立ち上がった。地元・愛知県でサッカーJ1名古屋グランパスの情報番組の司会を務めたり、全国各地でサッカー教室を開いたりした。選手時代を通じ「競技を続ける上で、心理的安全性が大切」と実感したのを機に、メンタルトレーナーの資格も得た。

再びサッカーに触れる中で、「女子サッカーで日本を活性化したい」との思いを募らせる。それは、単に強いチームをつくるのではなく、女子選手の地位を向上させ、収入や生活を気にせずにサッカーに打ち込める環境を整えるということだ。

「若い選手が将来を心配せず、夢に向かって努力できる。そんな仕組みをつくりたい」。そんな考えを巡らす中、吉野さんは19年に平林さんと出会う。くしくも、平林さんは長年、「スポーツチームで古里の京丹後を盛り上げたい」との夢を抱いていた。

サッカークラブで古里を元気に

スポーツ少年だった営業マンの奮闘

選手やスタッフを支える平林さん

クイーンズは22年度に関西2部リーグに参入し、1年目は16チーム中11位だった。2年目は選手一人一人へのきめ細やかなメンタルケアに力を入れ、レギュラーからベンチ外まで声かけに力をいれ、底上げにつなげた。皇后杯全日本女子選手権では京都大会で4強に入り、関西大会を戦った。

試合後には自前で活躍した選手へのインタビューも行い、ユーチューブやX(旧ツイッター)といったSNSで紹介している。

試合は主に京都市や大阪府、滋賀県の競技場で行われ、選手たちはその都度遠征する。試合の日程調整や遠征先への運転など、縁の下で支えているのが平林さんだ。

平林さんには忘れられない光景が二つある。99年春、峰山高が全国高校野球の選抜大会への出場を決めた。当時、同高1年でサッカー部員だった平林さんは、お祭り騒ぎのように沸く町と、喜々とした町民を乗せて甲子園に向かう何台ものバスが目に焼き付けられている。

もう一つは、長野県のJリーグチーム松本山雅だ。J1からJ3まで、どのカテゴリーでも多くの地元ファンが駆けつけ、同じ熱量で選手を応援する姿が忘れられない。「スポーツでこんなにもまちが盛り上がるのか」。サッカークラブの運営に憧れた。

27歳で実際にJリーグのクラブの就職を目指したが、現実は厳しい。「手当たり次第メールを送ったり、電話をしたりしましたが、だめでした」。

それでも、平林さんは折れずにクラブ経営に役立てるために営業を学ぼうと、11年に大阪市内に会社を設立。10年近くノウハウを蓄積する中で、社員を通じて吉野さんと出会った。

ゼロからのクラブ運営。平林さんにとって、大きな冒険であり、千載一遇の好機だった。

「田舎」ならではのチーム運営

試合も仕事も まちと一体で

京丹後市内の子ども園でのサッカー教室(クイーンズ提供)

チーム運営はスポンサー収入で支えられている。SNS(交流サイト)を駆使して募集を呼びかけ、吉野さんは「丹後ちりめんをPRしたい」と和装で営業もこなす。府北部を中心に約30社と契約を結び、社会人選手寮の費用や遠征費、スタッフへの報酬などに役立てる。

また、選手の獲得にも工夫を凝らす。公共交通が発達した都会のチームとは違い、入団は移住と同義であり、安定した生活を送りながら競技を続けられるのかと、経済的、心理的なハードルが高い。現に、平林さんはこうした理由で選手が確保できず、解散した山陰地方のチームを知っていた。

そこで、二つの方針を掲げることにした。

「生え抜き選手を育てる」

「社会人選手に仕事先を」

地元の中高生を大切に育てて、チーム全体の底上げを図る。また、社会人選手との練習で、部活動とは違った経験値を積める。さらに、園児向けのサッカー教室を企画してもらうこともあり、地域への愛着を深めるきっかけにもつながる。また、地元で育った選手こそ、地元住民も応援したくなる。

また、市外から選手として移住した社会人の6選手には安定した収入を得られるよう、スポンサー企業を中心に、事業所とのマッチングを行っている。東京から移住したキャプテンの二宮早紀選手(30)がサウナ施設で働いているほか、工務店や自動車販売店に勤める選手もいる。

選手として現役を続けながら、子どもに関わる仕事をするという夢をかなえた選手がいる。

22年4月に入団した、大阪市出身の貝森咲選手(22)は短期大学で保育士の資格を取得したが、サッカーの指導者にも興味があった。競技を続けたいとの思いもあり、進路に迷っていた。そんな中、吉野さんと知り合いだった短大女子サッカー部の監督からクイーンズを紹介された。現地で練習会にも参加し、「練習はきちっとひきしまっているが、ぎすぎす感はなく雰囲気が明るくて良い」と移住を決めた。

貝森さんは現在、京丹後市大宮町河辺の大宮北保育所に勤務しながら練習にも打ち込む。練習会場が福知山市の時は帰宅時間が遅くなりがちだ。だが、園児たちを楽しませようとつぶさに気を配る心がけが身につき、チームの後輩たちへのフォローに生かされている。

保育所長の大木八千代さん(59)は「細身だけど休まず元気に仕事をしてくれて、常に周囲にも気をつかってくれるので他の職員もいい刺激になります」と歓迎する。

人口減少が進む京都府北部は、あらゆる業界で人材不足が課題になっている。こうした地域社会に移住した選手たちは貢献している。

園児たちとおやつを食べる貝森さん
試合に臨む貝森さん

勝っても負けても応援されるチーム

追求し成長につなげる

得点を決め、ハイタッチする選手たち

京丹後市での初開催となった試合は、相手チームは2人の選手が欠員の状態で臨んだが、それでも「駆けつけてくれたみんなのために勝利を」と、クイーンズの選手たちは最後まで気を緩めず、足を止めることなく動き続けた。結果は17対0の快勝。得点する度、サポーターは歓声を上げ、拍手を送った。

大宮北保育所の大木さんは職員たちと手作りのうちわを持って貝森さんを応援した。「職場ではおとなしいが、プレーは格好良かった」としみじみ話す。「貝森さんが職場にいなければ、地元にチームができたんだと思うくらいだったかもしれない」。選手が身近だからこそ、応援にも力が入った。

平林さんはサポーターの反応を聞きたく、試合に目もくれず観客席を回った。すると、選手がお世話になったサツマイモ農家に声をかけられた。「すげぇなぁ。こんだけ人が来るんだったら、もっと上位にいかないといけないな」と励まされた。平林さんは目頭が熱くなった。

試合終了後、選手やスタッフ、サポーターと共に勝利を記念し、集合写真を撮った。これは第一歩。ここから500人、1000人と、サポーターは増えるかもしれない。

クイーンズは現在、リーグ戦8勝2敗。10月29日は1部昇格を掛けた最終戦に臨む。吉野さんはしみじみと語る。「しっかりと昇格を決められるよう勝つ!こんなにワクワクとドキドキが混ざった感情は、人生で初めてかも。こうやって新しい感情に出会わせてくれる選手たちには、本当に感謝しかありません」。たとえ負けたとしても、選手が成長する足跡となり、ファンの記憶にも刻まれる。

「みんながサッカーを楽しんでくれたら。この本質を忘れずに、選手たちにはこれからもボールを追い続けてほしい。私は全力でサポートし続ける」。

【チーム情報】

https://lit.link/QUEENS

 

Copyright ©京都新聞