2025.08.22|

軍事機密の天気予報
今は「平和のシンボル」
増田善信さんを思う

宮津市の名勝・天橋立の上に広がる夏空。増田さんも若かりし時、この空をいつも見つめた(宮津市島崎から望む)

暑さも峠を越し、朝夕に涼しい風が吹き始める―。あすは二十四節気の処暑だが、「暦の上では」と思わざるを得ない。

長期予報によると、今年も残暑は長引くとか。さらに、間隙を突くような集中豪雨も。天候の極端な揺れに、まだまだ気が抜けない。

丹後での体験から天気予報の平和利用を訴え続けた増田さん(2021年4月19日撮影、東京都千代田区・文部科学省)
増田さんが勤務していた当時の宮津測候所(1940年撮影)

生活や防災に欠かせない天気予報だが、気象台はあるのに知らされない時代があった。太平洋戦争中の3年8カ月、気象情報は軍事機密に。6月に101歳で他界した気象学者の増田善信さんは、故郷の丹後(京丹後市弥栄町出身)でその危険を肌で感じた。

宮津測候所の職員だった18歳の時、気象無線は全て暗号化されて予報も口外できない。「海がしけるとわかっていても漁師に伝えられない。心苦しかった」。東海道線の列車が台風で横倒しになり多くの死傷者が出た際は、気象台の職員も知らされなかったと自著に書く。人命や安全は二の次で、被害も隠された。

暗い過去を含め、日本で気象業務が始まって今年で150年になる。地震、気候の観測から天気予報へ。レーダーや衛星で精度を高め、今は人工知能(AI)の導入をにらむ。

収まらない猛暑にうんざりしつつ、宮津の空を見上げる。「天気予報は平和のシンボルです」。増田さんが繰り返し語った言葉を思う。

軍の管制から復活したのは、80年前のきょう22日だった。

 

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