軍事機密の天気予報
今は「平和のシンボル」
増田善信さんを思う
暑さも峠を越し、朝夕に涼しい風が吹き始める―。あすは二十四節気の処暑だが、「暦の上では」と思わざるを得ない。
長期予報によると、今年も残暑は長引くとか。さらに、間隙を突くような集中豪雨も。天候の極端な揺れに、まだまだ気が抜けない。
生活や防災に欠かせない天気予報だが、気象台はあるのに知らされない時代があった。太平洋戦争中の3年8カ月、気象情報は軍事機密に。6月に101歳で他界した気象学者の増田善信さんは、故郷の丹後(京丹後市弥栄町出身)でその危険を肌で感じた。
宮津測候所の職員だった18歳の時、気象無線は全て暗号化されて予報も口外できない。「海がしけるとわかっていても漁師に伝えられない。心苦しかった」。東海道線の列車が台風で横倒しになり多くの死傷者が出た際は、気象台の職員も知らされなかったと自著に書く。人命や安全は二の次で、被害も隠された。
暗い過去を含め、日本で気象業務が始まって今年で150年になる。地震、気候の観測から天気予報へ。レーダーや衛星で精度を高め、今は人工知能(AI)の導入をにらむ。
収まらない猛暑にうんざりしつつ、宮津の空を見上げる。「天気予報は平和のシンボルです」。増田さんが繰り返し語った言葉を思う。
軍の管制から復活したのは、80年前のきょう22日だった。
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