2024.01.05|

阪神大震災追悼 長年の竹灯籠作りに幕 「最後は現地・神戸へ」

震災犠牲者を追悼する「1・17のつどい」で発生時刻を前に竹灯籠に火をともす市民ら(2020年1月17日、神戸市中央区・東遊園地)

阪神大震災の犠牲者を追悼するため、毎年1月17日に神戸市で開かれる「1・17のつどい」で、火をともす竹灯籠を作ってきた京丹後市弥栄町木橋の住民団体「丹後竹筒グループ」が13年間の活動に幕を閉じた。メンバーの高齢化が原因で、最後になる竹灯籠を完成させたメンバーたちは「活動の締めとして今年は神戸に行き、震災で亡くなった多くの方々を現地で追悼したい」と話している。

阪神大震災追悼行事で使われる竹灯籠を作る「丹後竹筒グループ」のメンバー(京丹後市弥栄町)

「恩返し」の被災者支援

竹灯籠の火を見つめ、犠牲者をしのぶ参加者たち(同)

竹灯籠作りは、1995年の震災発生直後に「救援隊」として旧弥栄町(京丹後市の合併前)の住民たちが現地入りしたのがきっかけだった。背景には、1927(昭和2)年3月に起きた、丹後全域に及ぶ「丹後大震災」で、隣接する兵庫県から丹後地方にいち早く救助隊が送られたことがある。これを覚えていた住民が知人らに呼び掛け、「恩返し」として神戸の被災者支援に駆けつけた。

そのうちの一人で、町職員だった故吉岡功光さんがその翌年から灯籠を作り始めた。功光さんが病気で作業ができなくなった2011年からは、遠戚で元教師の吉岡隆則さん(73)が遺志を継いで、現在のグループを結成した。

若い世代に活動伝えたい

灯籠作りを始めた故吉岡功光さん

作業は年に1回だが、阪神大震災を知らない世代に知ってもらおうと、地元の小学生に授業で活動内容を紹介したり、市内の峰山高や清新高の生徒たちと製作したりしてきた。

メンバーは、85歳を最高齢に、全員が70歳を超えた。山の傾斜でのこぎりを扱う竹の切り出し作業は危険を伴うため、「体力の限界」と断念した。

今年は、神戸の「つどい」実行委員会が竹灯籠3000本を募っており、12月5日に最後の作業に臨んだ。隆則さん宅に隣接する機織り工房跡に13人が集まり、近くの放置竹林の青竹をのこぎりで40~50センチに切り、300本を製作した。

隆則さんは「竹灯籠を作る中で震災を悼む思いが年々強くなり、ここまで続けてこられた。今後はこの取り組みを若い世代に伝えていけたら」と語る。

 

 

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