繁栄願う機屋の心意気
福機、子供歌舞伎…
丹後訪織記⑤
金糸や銀糸で武者が刺しゅうされた幕をまとう「春日山」。「浦嶋山」にはその名の通り、丹後ちりめんに浦島太郎の絵巻物が表現されている。絢爛豪華な織物で飾られた山屋台や子供屋台が与謝野町三河内のまちを巡る「三河内曳山(ひきやま)祭」。「丹後の祇園祭」と呼ばれる祭礼が今年も5月4日に営まれ、大勢の見物客が見入った。
山屋台は2階建てで、高さ4メートル超あり、背面に各山の名を記す巨大な見送り幕が垂れ下がる。1階では太鼓や鉦、笛、三味線の祭りばやしが奏でられる。祭神を安置する2階に扇を持った地区役員らが乗り、「えんやー」の合図で山綱が引かれ、屋台がゆっくり動き出す。
高欄には輪島塗
曳山祭は江戸時代に始まったとされ、機織りの祖神・天羽槌雄神を祭る倭文(しどり)神社の例祭だ。浦嶋山は明治時代に峰山町から山屋台を買い入れた記録が残る。春日山の屋台は太平洋戦争開戦前の1940年に屋台や幕が新調され、高欄には輪島塗が施されている。
倭文神社の歴史に詳しい地元の太田亙さん(86)は「明治から縮緬の隆盛とともに、分限者が競って神社や祭りの屋台にお金を出した」と説明する。
春日山を出す大道町内会の倉橋慶一副委員長(68)は「かつては大きな機屋さんがあって働き手もたくさんいた。今は機屋もほとんどなく、住民は高齢化したが、祭りはなくてはならず伝統を守っていきたい」と語る。
曳山祭に先んじ、4月下旬に加悦と野田川の両地域で繰り広げられる加悦谷祭は、移動式舞台の「芸屋台」がひときわ目を引く。
商家の街並みの「ちりめん街道」から続く後野地区の宮本町は、三河内曳山祭や他の地域でもかつて行われていた子供歌舞伎を隔年で上演する。
宮本町の子供歌舞伎は1990年に、28年ぶりに復活した。これを機に、演じ手は各地を回る旅芸人の一座から地元の子供たちに変わり、兵庫県の播州歌舞伎の関係者が指導する。今では町内唯一の出し物だ。
今年も愛宕神社前の参道で、6人の小学生が「義経千本桜」を演じ切った。芸屋台は城郭建築のような唐破風の屋根を持つ。三方が吹き抜けで、正面には子供たちの名前が書かれた招き看板が並ぶ本格的な舞台装置だ。
演じ手が舞やせりふ回しを披露すると、おひねりが飛び、コミカルなやりとりに笑いが起こった。源義経の恋人・静御前を演じた加悦小4年竹村咲来さん(9)は「きれいな人なので、動きで表現できるよう頑張った」とほほ笑んだ。
織物の繁栄を物語る伝統が続く一方、丹後では近年始まった神事もある。
京丹後市網野町の網野神社で3月20日夕、織物事業者でつくる「丹後織物禊(みそぎ)の会」のメンバーが、糸を巻く管をくじ引きのようにひいて「福機(ふくばた)」を決めた。
ふんどし姿で禊
福機は、境内の蠶織(こおり)神社の祈願祭で反物を奉納し、翌年にお守りの生地に使われる。2012年から続く新たな行事だ。福機が決まると、織り手は近くの八丁浜に移動し、ふんどし姿で「はらえたまえ、清めたまえ」と唱え、闇に包まれた日本海に入る禊をする。
蠶織神社は地元の縮緬や蚕糸の組合関係者が尽力し、1925(大正14)年に鎮座祭が営まれ、名前は大正天皇の妻の貞明皇后が名付けた。養蚕の神を皇居の紅葉山御養蚕所から、織物の神は京都市北区の今宮神社の織姫神社から分霊したとされる。
4月13日の祈願祭では、福機の丸栄織物工場(網野町)が皇室ゆかりの神社紋の「菊」と「桐」の模様を織った絹100%の丹後ちりめんの白生地を奉納。生地は陽光を受けて、神々しく輝いた。
井上肇社長(58)は「この産地の厳しい状況に変わりはないが、織物の発展と継承を願って織り上げた」と出来栄えに満足する。
繁栄を願う機屋の心意気は、丹後の地に脈々と息づいている。
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