日本三景・天橋立
「股のぞき」の発案者は?
記者が調査、結果はいかに
丹後の宮津へ行くと、誰も一度は体験するだろう。日本三景・天橋立を背に上半身をかがめ、股間から眺める「股のぞき」。10年前、立命館大の研究者が「イグ・ノーベル賞」を受賞して話題になった。少し恥ずかしい眺め方はいつ、誰が始めたのだろうか。
股のぞきをすると、天に昇る竜のように天橋立が見える「昇龍観」。この絶景で知られる傘松公園(宮津市大垣)には、「股のぞき発祥の地」の看板が立つ。京都府が13年前に設置したものだ。
まずは、股のぞきの歴史から探ろう。
同市教育委員会の前文化財保護担当課長・東高志さん(62)に尋ねると、1冊の本『「天橋立学」への招待』(法蔵館刊)を渡された。かつて天橋立を訪れた文人らの紀行文や旅行記を説明する箇所があり、その中に次の文章があった。
「凡(およ)そ此地に至る者は俯して股間より望見するを例と為す」
1896(明治29)年に中国文学者の久保天隨によるもので、股のぞきの最も古い記述だと教えてくれた。
久保は天橋立の北側にある成相山中腹の傘松から眺めており、この4年後に初の展望所ができ、大正時代に公園に整備される。
由来は分かったが、ところで発祥は? 東さんに改めて聞くと、「そんなもん、誰も分からんというか、正解なんかあらへんで」。軽くあしらわれた。
とは言っても、記者魂は燃える。手がかりはないか。仕事の合間に何気なく先の本を繰っていると、ある一文に目が止まった。
「『天の橋立の股覗きは宿の主人の先代が発明したものだ』と教えてくれた」
そこには、夏目漱石の門下生だった作家森田草平が1935(昭和10)年ごろに、宮津の高級旅館「荒木別荘」に宿泊した際、女中から聞いた話が載っていた。
これだ。「宿の主人の先代」とはいったい誰か。
荒木別荘は当時、「山陰道随一」と言われた、天橋立を望む旅館で、1887(明治20)年ごろに経営者の荒木金兵衛(1854~1920年)が開業した。年代から推測すれば、「先代」は金兵衛に違いない。
金兵衛について調べを進めると、幸運にも荒木家の私家本『宮津・荒木』(1990年刊)を市図書館で見つけた。これによると、金兵衛は荒木別荘の経営以外にも、天橋立神社の再建を手がけるなど、城下町や天橋立周辺の観光開発に尽力した先駆者という。
股のぞきの発祥にも触れていた。当時は「股眼鏡」と呼ばれており、本を編集した金兵衛の孫の健さんは、叔父や両親から「股のぞきは金兵衛が股眼鏡として考えたものだと言い聞かされた」「金兵衛が『股眼鏡』を考案したのは間違いない」と強調している。
健さんに詳しい話を聞こうと、すぐに記載された連絡先をあたったが、だめだった。すでに亡くなっていた。うーん、残念。
発案者は金兵衛。ほぼ固まったが、子孫から確証を得たい。
私家本に記されていた市内の住所を訪ねたが、空き家だった。近隣の住民に聞いて回り、おおよその転居先を教えてもらった。何とかそこにたどり着くと、一軒家に「荒木」の表札がある。
怪しげな突然の訪問にもかかわらず、出迎えてくれたのは、金兵衛のひ孫、荒木美年(みね)さんだった。
「荒木家のことは全く知りません。名古屋に住む、いとこが詳しいかもしれない」
その場で、同じひ孫にあたる坪井秀子さん(78)に電話をつないでもらい、後日、名古屋へと向かった。
秀子さんは小学生の頃、荒木別荘に住んでいたという。「荒木別荘としての経営は1958年の夏まで。その後は海運会社に全て売った」。別荘について淡々と語り、金兵衛に話が及ぶと、少し口が重くなった。家族は、金兵衛について何も語らなかったらしい。
「股のぞきを考えたのは金兵衛ですね」。私が尋ねると、秀子さんは即座に答えた。
「金兵衛が発案したかは分かりません」
なぜなのか。「金兵衛が考案したと、健からも聞いたことはないんです」と。「個人的には金兵衛です、と言いたいけれど…。金兵衛が一人で股のぞきをし、『これはいい』と発案したとは、想像しにくいです」
私は意気消沈し、宮津へ戻ったことはいうまでもない。
130年続く天橋立の股のぞきは今や、訪日客にも伝わる。受け継がれる手法の発案者は金兵衛か、否か。協力者はいたのか。新たな事実が分かれば、速やかに報告したい。
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