2024.01.24|

パン工房が火災
再起のパン職人
「恩返しはパンを焼くことしかない」

火のはぜる音が聞こえ、嫌な予感がした。

パン工房に火の気はない。外に出ると、積み上げた薪が燃えていた。「しまった」。パン職人の太田光軌さん(34)は焦った。窯の近くで、乾燥させた薪がくすぶり、水を掛けて外に置いていた。

2018年9月12日の夜。京丹後市弥栄町の山間部、来見谷地区にパン工房「弥栄窯」を開いて1年が過ぎた頃だった。低温発火した薪の火は、強風にあおられて母屋に燃え移り、工房兼住居を焼いた。母屋は築約120年の古民家で、太田さん自ら調達した古材や壁土を使って1年かけて改修し、窯は耐火レンガやブロックで丹念に作り上げていた。

火事は、評判が広がり、客を増やしていた矢先だった。

石臼で製粉した小麦粉を手でこねて自然発酵させ、薪を使った窯で焼き上げるというフランスで学んだ伝統の手法と、国産の有機小麦を用いたパンはずしりと重い。薄切りにした1枚は穀物の素朴な香りと味わいがする。積み重ねた実績と自信が崩れていく。心が落ち込み、弱気になりかけたが、「しっかりとしなくては」と歯を食いしばった。

妻の治恵さん(34)、生後5カ月の長女すずちゃんとともに、近所の離れに身を寄せた。目が覚めると、「夢では」と願っては落胆した時もあったが、娘の笑顔に救われた。ほどなく、知人や常連の客から生活再建に必要な物が届く。工房の再開に向けた寄付金も集められた。温かい励ましと支えに、「挫折するたびに立ち上がってきた」人生を振り返った。

工房の窯から焼き上がったパンを取り出す太田さん(京丹後市弥栄町須川・弥栄窯)

「生きる手応えをつかみたい」

高校2年の時に総合格闘技を始めた。プロ入りした大学時代、治恵さんの目の前で、強敵のパンチをあごに受け、リングに沈んだ。

その後、治恵さんから趣味のパン作りを教わる。微生物の力を借りて発酵するパン生地に神秘性を感じ、とりつかれた。「2人で将来、農家兼カフェを開く」と決めたが、料理の腕を磨くため就職したレストランで暴言を受け、わずか10日で辞めてしまう。

目的を見失いかけたが、農業を学ぼうと、京丹後市内のコーディネーターを通じて弥栄町の農場で1年半、有機農業を学ぶ。畑で大事に育てた小麦を使い、手製のロケットストーブでパンを焼き上げた。「おいしい」。知人からのひと言が本場フランスに1年間滞在し、農家兼パン職人のもとで、製パンの技法と精神を学ぶきっかけになった。

パン作りについて語り合う太田さんと妻の治恵さん

火事では幸い、工房内はほとんど燃えていなかった。屋根など母屋の修復を手掛け、再起を誓う。脳裏に浮かんだのは、あの農場の鶏小屋でふと目にした大根の葉だった。鶏につつかれ、ぼろぼろになっても陽光に向かい地面から立ち上がろうとしていた。

「家族を守り、助けてくれた人に恩返しするには、パンを焼くことしかない」

惨事から1年10カ月を経た再開の日。「おいしいパン、待ってたよ」。工房の前に30人ほどの行列ができた。目が潤んだ。日常を取り戻した弥栄窯の奮闘はしだいに広まり、あの香りと味を求めて京都府内外から注文が相次ぐ。

太田さんは今、あらためて思う。

「苦しい時、多くの人に手を差し伸べてもらったように、生きるための糧、踏まれても麦のように立ち上がる力となるようなパンをここで作り続けていきたい」

 

※パンの購入など問い合わせは「弥栄窯」http://yasakagama.com

 

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