教師への夢 50歳女性が再挑戦
子育てきっかけに学び直し、
念願の教育実習へ。

一度はあきらめた小学校教師への夢をかなえようと、49歳で通信制大学に入学して勉学に励んだ京丹後市峰山町五箇の主婦がいる。地元の小学校で教育実習を経て、今年度中にも念願の教壇に立つ。「一歩一歩、少しずつでも前に進めば夢は実現できる」と意欲を高めている。
田中信乃さん(50)。第2次ベビーブームの1973年11月に千葉県松戸市の教師一家に生まれた。小学校長を務めた祖父の不可止(ふかし)さんに幼少期から「先生になってくれたら」と望まれた。自身も物心つく頃には教師になる未来を思い描き、英語学科のある大学に進学。中学と高校の教員免許を取得した。
しかし、就職活動が始まる頃はいわゆる「氷河期」の真っただ中。教員は「高根の花」とあきらめ、一般企業の道を選んだ。
胸の内にしまった夢は嫁ぎ先の京丹後市で再び芽生えた。
10年前に長女を預けた峰山幼稚園で、子どもたちに温かく接する保育士の姿が印象に残った。数年後に子育てサークルの運営を任された時はクリスマスやハロウィーンの催し、絵本の読み聞かせを企画し、メンバーと工夫を凝らした。日々成長する子どもの姿に接する喜びを感じ、人を育てる仕事への憧れがよみがえってきた。
転機は2022年7月に訪れた。同市教育委員会が小学校の非常勤講師を募集した。市教委に問い合わせると「教員免許があれば今からでも大丈夫です」と歓迎された。
リポート提出や試験勉強 家族の応援や祖父が残した一文励みに


ただ、大学卒業から30年近いブランクがあったため、「子どもたちに真摯(しんし)に向き合うため」と大学に編入して学び直しを決意。家族に伝えると長女が賛同してくれ、夫も家事を手伝うなど応援した。
リポート提出や試験に向け、毎日勉強に励む。挫折せぬよう「無理しない」を心がけるが、共に学ぶ仲間がいない孤独との戦いに心が折れそうになる時もある。支えになっているのは、不可止さんが短冊に残した一文だ。
「人生はこれから勝負古稀の春」
教師を退職した後、亡くなる73歳まで書道に打ち込んだ祖父の一句は「50歳の私なんてまだまだこれから」と励まされる。
教育実習の前は、「自分の子を育てるように児童の成長を見つめ、育みたい」と新たな人生のスタートを心待ちにしていた。
田中さんは2月20日の京都新聞の読者投稿欄「窓」に、「大学生 50歳」の肩書きで幼い頃の夢に再挑戦する思いを寄せてくれた。
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