古より受け継がれる

歴史と伝統

History

古代丹後王国の歴史は古く、多くの伝説が残されています。ちょっぴり恐ろしい伝説から誰もが良く知るあの伝説まで。細川ガラシャの隠棲地でもあり、羽衣天女、小野小町などの伝説が残るこの地は、古より大陸からの玄関口として栄えていた歴史の象徴です。気候風土が生み出した絹織物などの伝統産業は『300年を紡ぐ糸が織り成す丹後ちりめん回廊』として日本遺産(Japan Heritage)に登録されました。

古墳

1

おおなるこふんぐん

大成古墳群

立岩を見下ろす高台にあり、6世紀末から7世紀初めにかけての13基の横穴式石室墳からなる古墳群です。 様々な出土品は、当時の丹後地域の権力を示す貴重な資料とされています。 日本海を一望できる絶景スポットで、展望所も設置されています。 京丹後市指定文化財に指定されています。

Photo Spot
海を見下ろす高台にあり、立岩も眺めることができます。
夏には一面に浜ダイコンの白い花が咲きます。

2

しんめいやまこふん

神明山古墳

古墳時代前期後半(4世紀後半)の前方後円墳で墳丘長190m、後円部129m、網野銚子山古墳に次ぐ日本海側最大級の前方後円墳です。国指定史跡。
葺き石と丹後型円筒埴輪列をもつ三段築成で、墳頂部には石材が散らばっており、竪穴式石室が築かれている可能性があります。

3

あみのちょうしやまこふん

網野銚子山古墳

網野銚子山古墳(全長201m)は、丹後町の神明山古墳(全長190m)と加悦町の蛭子山(えびすやま)古墳(全長145m)とともに丹後地方の三大前方後円墳の一つ。
前後にある小銚子古墳・寛平法皇陵古墳と合わせて「銚子山古墳 第一、二古墳」として国の指定史跡に指定されています。

伝説
崇神天皇の時代、四道将軍の一人である丹波道主命の墓ともいわれています。

神社

4

ことひらじんじゃ

金刀比羅神社

文化8年(1811)峰山藩主京極高備公によって讃岐金毘羅宮より御分霊をお迎えして創祀されました。
商売繁盛・縁結び・受験の神様として丹後一円から信仰を集めています。
秋には美しい紅葉が境内を飾り、春夏秋には御輿や山車が繰り出すお祭りが行われています。

Photo Spot
珍しくて可愛い「狛猫」や境内には 狛猫をモチーフにした置物が並べられています。

5

たかのじんじゃ

竹野神社

竹野神社は9代開化天皇の妃となった「竹野媛」が晩年帰郷した際に「天照皇大神」を祀って創建したといわれる由緒ある神社です。神殿本殿は京都府の指定文化財。境内は文化財環境保全地区に指定。

伝説
鬼祭り。 毎年、12月の丑の日に行われる奇祭。
この祭りは竹野神社の神主とその下社家(宮衆)だけが行い、その祭りを見てしまうと3年以内に死んでしまうという言い伝えがあった。討伐した鬼を鎮める祭りだという事だが鬼については殺してばらばらにして埋める、生かして閉じ込めたなど諸説あり、誰も見たことのない祭りなので謎が多い。

6

おおみやめじんじゃ

大宮賣神社

縁結び・安産・子孫繁栄・文化発展の守護神
あまのうづめの神・みやびの神で、御神像は女神座像(平安時代の木彫)です。一の鳥居から社頭まで約150mの参道は、両側に石燈籠が並び、松並木の美しい雰囲気のある神殿です。

7

あみのじんじゃ

網野神社

日子坐王(ひこいますのみこ)、住吉大神(すみよしおおかみ)、浦島伝説ゆかりの水江浦嶋子神(みずのえのうらしまこのかみ)の三柱の神さまを祀った神社。

延喜式内社(えんぎしきないしゃ)であるので創立は10世紀以前とみられています。

8

かみたにじんじゃ(かみたにたちのみや)

神谷神社(神谷太刀宮)

神名帳にも記録されている由緒深い神社。四道将軍、丹波道主命を近畿で唯一お祀りしています。
丹波道主命が身につけていたという宝剣【国見の剣】をお祀りしてあることから【太刀宮】と呼ばれています。本殿は京都府の文化財に指定されています。

9

しずかじんじゃ

静神社

主祭神は丹後七姫の一人、静御前。
磯に生まれた静御前は都でも指折りの白拍子として有名になり、舞う姿を源義経に見初められて側室に。平家滅亡後、兄に追われる義経と生き別れになった静は、出家して故郷に隠れるように住み、夫の無事と子の冥福を祈りました。

10

しまこじんじゃ

嶋児神社

網野町には浦島子や乙姫を祀る神社が多数あり、浦島太郎に関する伝承が色濃く残されています。八丁浜の西端、浅茂川漁港に隣接する小さな丘に、浦島太郎(浦島子※)を祀る嶋児神社があります。

11

ひぬまないじんじゃ

比沼麻奈為神社

主祭神は元伊勢宮・豊受大神です。社殿は伊勢神宮と同じ神明づくり。磯砂山に天降られた天女神が豊受媛神とされてます。豊受大神は、五穀豊穣を願う最高神とされており、伊勢神宮の外宮に祀られている豊受大神も元々はこの地から移転したと伝えられています。

12

にょいじ

如意寺

「関西花の寺25カ所霊場会」第七番札所である如意寺は、門前に穏やかな内湾が広がり、豊かな自然に恵まれた絶景の地にあります。よく整備された広い境内には多くの種類の花木や山野草が次々と花開き、初春より秋まで飽きることはありません。

13

ほんがんじ

本願寺

奈良時代、一木に群れていた鴫がたちまち仏の姿と化し、呪文を唱えながら飛び立った。行基菩薩がこれに深く感じ一寺を建立されたとされる古刹。国の重要文化財に指定されている本堂は丹後における現存する最古の建造物です。

14

けいとくいん

慶徳院

慶徳院は釈迦如来像を本尊とする臨済宗天龍寺派のお寺で、円山派の日本画家・長澤蘆洲の襖絵44面を収蔵することでも有名です。本堂の6室には『虎図』8面、『花鳥』8面など独自の画風を示す作品は、応挙の繊細な画風を継承しながらも、独自の画風を確立した逸品となっており、江戸時代末期の画風の流れを知る上で貴重な資料となっています。

15

えんじょうじ

縁城寺

縁城寺本堂の左右には、運慶作という大きな仁王像をひかえ、藤原中期の作と伝わる国の重要文化財千手観音立像を本尊とする名刹です。この千手観音像は、源頼朝公より賜り納められたものと伝えられていますが、秘仏になっており33年に1度しか拝観することができません。もとは25坊もあった大寺ですが、度重なる火災でほとんどが焼失してしまいました。

16

じょうりゅうじ

常立寺

丹後ちりめんの創業者の一人、絹屋佐平治(後に森田治郎兵衛と改名)の墓碑があり、峰山藩・京極家の菩提寺でもある。
現在も絹屋佐平治の功績をたたえる慰霊祭が行われる。

17

ぜんじょうじ

禅定寺

江戸時代、高度な技術を持つ西陣に押され、丹後の織物は衰退しつつありました。この不況を打開するため、峰山の機屋であった絹屋佐平治はこの禅定寺の弥勒菩薩に2度断食祈願をかけ、京都西陣へその技術習得に出向き、それが現在の丹後ちりめんのもととなったといわれています。

18

いわやじ

岩屋寺

奈良時代に創建されたと伝える古刹。
本尊は不動明王で、行基が開基したと伝えられている。通称「お不動さん」の名で親しまれるこの寺には、鎌倉時代まで上る丹後地方で最も古い作例の一つである「釈迦十六善神像」などの絵図が京都府の有形文化財に登録されています。

その他

19

へいじじぞう

平地地蔵(石造地蔵菩薩立像)

台座を含む高さが5.3mもある京都府最大規模の石地蔵です。天保4年(1833)、常林寺住職が浄財を集めて建立。蓑を着せる行事は晩秋の風物詩となっています。「あざとり地蔵」としても信仰されています。口の右上には、黒点のようなものがあり、「あざとり地蔵」と呼ばれる由縁となっている。

20

ほそかわがらしゃのひ

細川ガラシャの碑

細川忠興に嫁いだ明智光秀の娘・玉は本能寺の変により逆臣の娘となり、居城のあった宮津から遠く離れた山深い地に幽閉されました。それが、この碑が建てられている味土野(みどの)です。この時に従った侍女・清原マリアの影響でキリスト教に救いを求めるようになり、後に洗礼を受け「ガラシャ(神の恩籠)」の名を授かりました。

21

はしうどこうごうぼしぞう

間人皇后母子像

厩戸王(うまやどのおう)の御母である穴穂部間人(あなほべのはしうど)皇后は蘇我氏と物部氏の争乱を避け、この地に身を寄せられたと伝わります。大和の国へ帰られるにあたり皇后から御名を賜りましたが、口にするのは畏れ多いと考えた村人たちは御退座にちなみ「たいざ」と読むことにしました。この伝説をもとにした母子像が日本海を眺めるように佇んでいます。